2012年7月16日月曜日

子供たちの王様:陳凱歌
考えれば此のサイトに中国映画をかけた事が無かった。
別に偏見を持っている訳では無い、偶然そうなっただけだ。
特に此の様な作品を見た後には何か云わずには居られない。
「黄色い大地」でデビューした監督・陳凱歌の3作目にあたる此の映画は
文化革命当時の陳凱歌自身の体験を元にしているという。
主人公は上の写真の痩せた男、だから”やせっぽち”という名前を
生徒たちに付けられた新任教師だ。
高校2年で文革に合い、”下放”という無理矢理、地方での労働を
させられるという運命に成るが、たまたま字を良く知っていた事で
更に山奥の中学校へ国語教師として派遣させられる。
そこは貧しく生徒に教科書も与えられ無い所で自分も教師としての
訓練を受けていないから、最初はどうして良いか解らず
途方にくれるが、生徒たちのひたむきな向学心に支えられ、
自分なりの教育法を生み出す。

此の教師役の役者が良い。なんとも貧相で頼りなく
困ると笑って誤摩化している様に見える。
でも実は一番良いのは何かと考る誠実さが有るのだ。
だから子供たちに王様の様に慕われることが
題名「子供たちの王様」の由来だ。
彼と生徒たちの様々なエピソードは、真の教育とは何か?を
現代に通じる普遍的なテーマとして此の映画は投げかける。
とかく固い話で退屈になりそうな物語だが
それを補って余りあるのが画面の隅々まで溢れる詩情だ。
処女作「黄色い大地」は、まさに乾ききった大地だったが
此の地は雲南省、湿った空気で、霧に霞む山地は水墨画そのもの。
それを大胆に切り取ったカメラワークに観るものは魅了される。

それだけではなく此の時期の監督・陳凱歌は
様々な新しい映画技法を試みている。
それはフランスのヌーベル・ヴァーグにも通じる映像と音響の実験だ。
敢えて画面に映らないものの会話や音響。
モンタージュ論をくつがえすカットの間(ま)の余韻。
それらが作品に独特な静寂さと温かさを生んでいる。
温かさといえば
私事だが中学には自分を理解してくれる先生が、まだ居たが
高校は受験校で、まさに此の映画の様に、いきなり先生が黒板に
文字を書き出し、それを写すだけが授業の大半。
その内容も意味も、おざなり、試験の為だけの詰め込み教育だった。

此の映画で主人公の教師は彼らに作文を書かせ
”自己表現”という機会を与える。
此れが功を奏し、生徒たちも目覚ましく文章が上達する。
しかし、その自由な教育法は、党の幹部に、睨まれ
彼は志なかばにして、その職を奪われる事に成る。

彼の最後の抵抗は自分に懐(なつ)いていた生徒に
”此れからは辞書を写すのを止めろ!”と机に白墨で書き残す。
静かに彼の激しい怒りが伝わって来る場面だ。

冒頭とラストに出て来る丘の上の焼き払われた木々は
様々なイメージとメッセージを観客に投げかける。
それは生徒たちの姿でもあり、疎外された人間性にも思える。
文革そのものをリアルに描いた彼の
「さらば、わが愛/覇王別姫」も素晴らしいが、
此の映画における象徴主義(シンボリズム)は
彼の、いや映画史における、ひとつの頂点と云えるだろう。










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